2月26日の朝、犬の散歩中です。田んぼの中に大きな黒っぽい鳥を見つけました。
拡大してみます。マガンです。何で逃げないんだろう?
このマガンとの距離を保ちながら、田んぼの周りを半周しました。それでも逃げません。
私が知る限り、普通、マガンは、用心深い鳥で、、近くでの撮影は難しいです。しかも群れでいるのが普通です。
しかし、このマガンは、犬を連れた私が写真を撮っていても逃げません。しかも1羽だけでいます。
推定ですが、けがをして仲間から外れたのではないかと思います。もうすぐ北へ帰る時期、恐らく皆とは帰れそうにないような予感です。
かわいそうなのでこれ以上接近するのは止めました。
(ここからが本題です)
震災から間もなく1年が経とうとしています。復興に向け着実に進んでいるとの報道もあります。大変うれしいことです。しかし、一方で復興の手がかりさえ見いだせない人もいます。
特に福島県の放射線量の高い地域の皆さんの苦悩は想像することさえ困難です。
放射能の事を気にせず、山や川や海で遊び、田畑や山林で仕事ができる生活をする幸せを取り戻すためには、移住しかないでしょう。できれば最低単位の行政区(例えば小中学校区程度)の移住がいいような気がします。
ゴルフ場18ホールでどの程度の村ができるのでしょうか?農林業法人をいくつも作り、飯館村が目指した「までい」な村を作るようなプランがあってもよいのではないでしょうか?
除染に過大な期待を持たせることはやめましょう。除染が失敗すれば、東電や国、そして期待を持たせた専門家への恨みが残るだけです。その恨みは、このことに無関心な一般国民に向けられます。
また、古里への思い出も誇りも捨て、出身地を隠し、健康診断はもちろんあらゆる行政のサービスも満足に受けられない流民が増えることも心配されます。
村ごと引っ越すとき、素敵な言葉が見つかりません。「強制移住」は不自由さを感じます。「集団移転」は悲しすぎます。「理想郷設立」を連想させるいい文言が浮かびません。
原発事故、避難から間もなく1年です。時間が経てば蘇る力がそがれるだけです。
復興の情報を素直に喜べない、むしろ焦る人たちがいること考えたいと思います。
2月26日、田んぼで発見した1羽のマガンに、放射能避難の人たちの姿がダブります。