これは藤の花です。
きれいです。でもこの藤についていつも気になっています。
藤は、人間がしっかり管理さえすれば、愛される植物です。
しかし、放置しますと厄介な植物になってしまいます。自然の中では共存共栄ができないようです。
これは近所の私有地(空き地)です。。2つのこんもりとしている木が見えます。その奥は公園です。2つの木はいずれも藤です。
これら2本の藤の中には、藤が生える前から生えていた木がいまも生えていて息も絶え絶えです。
左はウメモドキです。右はリョウブです。藤が後から生えてきて、それらの木を覆ってしまったのです。
しかし、このままでは、ウメモドキもリョウブも早晩枯れてしまいます。
この藤の子孫は、その周辺に勢力を拡大させています。
写真奥の公園内です。 小さな藤とツクバネウツギが見えます。
拡大してみます。手前が藤です。この藤は将来近くの木に絡みつき、その木を枯らし、近くのより高い木に移っていきます。
こちらは、別の散歩コースです。杉に絡みついた藤です。
拡大してみます。左の杉は枯れています。右の杉はこのままですと近々枯れると思います。
藤は、成長が速いです。他の木を利用して上に伸びます。頂部では、他の木の葉を、自分の葉で覆ってしまいます。木の下、幹の方では、蛇のように絡みついて締め上げます。
自分を支えてくれていた木は上と下の攻撃を受けやがて枯れてしまいます。結果的に、自分は、その支えてくれていた木が受けていた光100%を使うことができます。
枯れた木はやがて、朽ち倒れてしまいますが、倒れる前に、隣の更に高い木に絡みついていきます。
他の木を利用するだけ利用し、使えなくなれば、捨てて他を探す・・・。これが藤の生き残り戦略です。
(ここからが本題です)
都市と地方との関係に似ています。経済成長の陰で都市が地方を利用するだけ利用して捨てて行く構図です。
原発は、都市と地方との格差の拡大の中で生まれました。
やむなく原発を受け入れた村は、箱ものを作らされ維持費が増大、更に原発を増設しないと生きていけない負のスパイラルが生まれてしまいました。
金の力が最優先の経済界や多数決を基本とした政治家だけが力を持つ社会では、都市と地方の格差は拡大するばかりです。
本当の民主主義とは、色々なジャンルの人間が等しく社会参加できる社会と思います。
その道の専門家と言われる人の多くは、植物で言えば「藤」です。「藤」が自由に野に放たれるとろくなことはありません。
人間が「藤」とならないためには、幼児教育、小学校教育の段階で、倫理や哲学、歴史の教育が大切と思います。
でも、この教育を監督しているのが文部科学省、そして、今の原発関連で様々な問題が出ているのも文部科学省・・・。
この教育を今の文部科学省に任せておいていいのでしょうか?文部省と科学省は切り離すべきではないでしょうか?