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2011年 08月 31日
近くの集会所の前のフウセンカズラです。町内会の役員の方が植えてくださいました。ありがたいです。
![]() ![]() 風船の部分を軽く指でつまんでみます。風船の中には空気が一杯です。 頭の体操になります。 1この風船何に使えるか考えてみました。 ①釣りのウキ②風呂で遊ぶおもちゃ③イヤリング④何かの飾り(リュック、帽子、鉛筆) ⑤乾かして梱包材料⑥粘土で土鈴等中空のものを作るとき・・・。 2風船の中の空気について考えてみました。 ①中の空気の成分は?(チッソと酸素の割合は空気と同じか?) ②中の空気はどこから来たか(根っこが吸い上げたのかそれとも?) やっぱり、風船の中の空気はどこからきたのか?どうやって空気を閉じ込めたか?この問題が一番面白そうです。 5名立候補した民主党代表選挙、誰が代表に選ばれるか?誰になって欲しいか・・というよりゲーム感覚で見ていました。私の予想は外れました。懸けをしなくて良かったです。 野田さんの演説 「政治家の素養は好きな時代小説で学んだ・・」そのくだりがいいですね。「司馬遼太郎から・・、藤沢周平から・・・、山本周五郎から・・・」 自分で、それぞれの著名な作家を使い、夢や志、誇り、人情の機微・・という政治家としての大切な素養をもった人間であると評価していました。うまいです。天才です。来年の大学入試の問題や弁論大会の教材に使えそうです。 私が知りたいのは震災復興への道筋と、国策として進めてきた原発で事故を起こした責任と緊急対策についての道筋です。 私にとって、野田さんの身の上話や自分がどうやって政治家になれたか・・という興味よりも、フウセンカズラはどうやって空気を閉じ込めたか・・という興味の方が大きいです。 今は、野田さん以上に期待する人は見当たりません。応援しますから何とかしてください。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-31 23:16
| 2011.08
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2011年 08月 30日
29日、文部科学省は土壌中のセシウム濃度マップを公開しました。同じ29日農林水産省は農地の汚染地図をまとめました。前者は地表~深さ5センチまでの土壌をすくい取り、1平方メートル当たり〇〇ベクレルと表記、後者は水田は深さ15センチで、畑は深さ30センチで土壌を採取1㎏当たり〇〇ベクレルと表記している。
つまり、文科省と農水省とではデータの取り方や表記の仕方は全く違うことが分かります。しかし、そのデータの読み解き方の説明をしていただかなくてはどう行動してよいのか分かりません。 もし自分が、住んでもよい地域か、或いは住んではいけない地域か判断するのであれば、文科省のデータを、もし野菜や稲を作るのであれば、また、購入するのであれば、農水省のデータを参考にすることになります。 (文科省のデータで) 専門家でも判断は分かれるところです。 チェルノブイリの事故の際、旧ソ連で強制移住となった濃度は1平方メートル当たり148万ベクレル(河北新報30日)。しかし我が国の政府は福島第一原発から半径3キロメートル以内を除き除染して何とか住まわせようと考えているようです。 小出助教によれば、日本の法律では、人間が住んではいけないとされる濃度は年間1ミリシーベルトを超える地域、そうなると、面積的には福島県と同じ面積、都市でいえばもちろん福島市や郡山市も住んではいけない地域です。移住することを基本とし、止むを得ず住み続けなければならない人への対応もしていく・・。これが法治国家のすることであると主張しています。皆さんはどう思われますか? (農水省のデータで) 農作物を作ってよいか否かの基準は水田だけです。深さ15センチの土を採取、1㎏当たり5,000ベクレルを越えた場合は米を作ってはいけないことになっているらしいです。でも8月29日に発表して間に合うの? 本気で除染するのであれば、耕作をしないで、表土だけをはぎ取るのが一番いいはずですよね?農作物を作るとき表土は最も大切な土ですのではぎ取ることはできないという判断でしょうか?耕作した後の深さ15センチでしょうか、耕作する前の15センチでしょうか・・それによっても違いますよね・・。 畑に至っては野菜を作ってよいかダメがの基準がなさそうです。作ってしまった後の野菜を抜き取り検査するという考えです。測定は、深さ30センチの土を採取したらしいです。表面と深さ30センチとでは値は全く違いますよね・・。校庭の除去作業を見たらすぐわかります。 畑を耕し表面の濃い部分をかき混ぜ散らばして計ったのか?それとも耕さず、放射能の影響の少ない部分を計ったのか説明したものありますかね・・。 (自分の畑で) 30日2週間ぶりに畑に行きました。野菜は自己消費用です。1㎏とって計ってもらったら、食べる分は無くなります。もっとも計ってくださいと言っても計ってくれないと思いますがねー。又、土壌汚染も30センチの深さまで耕してないですので30センチの深さを測っても微量の放射線量しか検出されないかもね・・。 かぼちゃはどこに葉っぱがあったのか分からないくらいに草に覆われていました。でも猿はあの後来ていないみたいです。それとも隣の耕作者が追い払ってくれたかもしれません。 かぼちゃはこれ以上育たないので全部取ってしまうことにしました。 きゅうりは終わっていました。ゴウヤは黄色や赤に変わってしまい収穫ゼロです。1っ週間前に来れば良かったかも・・。 ナスは大きく伸びていました。 ![]() ナガナスは家に帰り計ってみました。長いもので34~35センチもあります。 ![]() これを食べてみました。大発見です。こんなに大きいのに、このナス結構柔らかいんです。 これは怪我の功名かも・・。新商品です。 30センチ以上の細いナスを大根の漬物みたいに一本で漬物にする。「ナガナスの一本漬け」 これ商品化できませんか? 大豆はよその畑よりだいぶ成長が悪いです。しかしそこそこ収穫はできそうです。背が低く葉っぱが少ない割には実の数が多いからです。 数年前、背が高く葉っぱの数が多いのに実の数が少なくなって、挙句の果て倒れてしまって困ったことがありました。それに比べたらこれは理想的です。 今年初めて耕作する畑なので、肥料が少なかったこと、そして、機械を使わず鍬だけで耕したため深く耕せなかったことが、大豆にとっては幸いしたかも・・。苗を作ったときは今年はダメかなーと思いましたが・・。 ![]() ![]() 今日の収穫は、かぼちゃ、ナス、ピーマンそして唐辛子等です。 ![]() ネギも収穫しました。 ![]() 農水省が発表した私の耕作している畑は1㎏当たり1000ベクレル以下のエリア。それでも孫に食べなとは言えないでいます。 もっともっと専門家同士で意見を戦わしてください。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-30 23:23
| 2011.08
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2011年 08月 29日
これは8月21日に撮ったアジサイの花。
今までの鮮やかな紫色はすっかりとれ、咲きはじめの青白っぽい色に戻っています。 ![]() 大発見です。 アジサイは水彩のパレット。徐々に紫や赤の絵具が溶かされ混ぜられていく・・。そして、最後はこの色が水で流されもとのパレットに戻る・・。 そういえば、こもれびの森に勤めていたころ、このアジサイ、ドライフラワーになるよと教えてくれたのがKさん。あの息子さん、颯太君と言ったかな・・彼どうしているかなー。こもれびの森に時々行ってくれているかなー。 28日夕方 加藤哲夫氏を偲ぶ会に出席しました。加藤哲夫氏はアジサイが大好きでした。彼のブログをみていましたら、彼が作った基金の名前も「紫陽花基金」です。 いつ頃からか、アジサイを見ると彼のことを思い出していました。 ところで、「偲ぶ会」は最初からいつもと違っていました。彼が自分のブログで書いていた通り、偲ぶ会やお別れ会を自分でプロデュースしていました。数人が弔辞を読みました。そして、弔辞を読む人も、その内容も彼が生前企画していたようでした。これらの弔辞を聞いて、ずいぶん気が楽になりました。事実、彼の死の知らせを受けてずーと痛かった胃の左上の痛みが少しとれてきました。 圧巻は、会葬お礼につけた品物です。彼は市民活動団体の立ち上げにも尽力していましたが起業家を沢山育てました。その起業家の中で紅茶の製造販売、とクッキーの製造販売をしている起業家を選んでいました。そして、会葬のお礼として使うことでこれらの起業家を支援しました。 更に、会食も準備されていました。普通はこの種のものは参加しませんが、この日は久しぶりに会ったY氏と話をしたかったこと、また色々な人と話をしたくなったことで、遠慮なく参加をしました。 ここでも仕掛けがありました。お酒の紹介でした・・。 この会で会いたかった人に会うこともできました。そして、名刺交換をしました。 又、現在、ちょっとした小さな組織作りをお手伝いしたいと思っています。その組織を作るための相談をしたいと思っていた方も見つけました。そして、その方に声をかけました。きょう電話がかかってきて9月2日に会う約束をしました。 もしかして、このような機会を作ってくれたのも彼の意図した範囲内かもしれません。 自分の偲ぶ会やお別れ会をプロデユースしていた加藤さん・・ありがとうございます。 昼間、友人と会って泉ヶ岳に行ったこと、そして、夕方からの「偲ぶ会」に出席したこと・・いつもと違ういい時間を過ごすことができました。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-29 22:17
| 2011.08
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2011年 08月 29日
28日朝、仙台市議会選挙の投票。市議会議員、何をする人でしょうか?この大震災で全く顔が見えません。4月から仙台市民になったばかりということもあり誰が市議会議員かすら分かっていません。でも想像力を働かせて投票しました。誰かを選ばなければならない選挙・・なんか変な気もします。
今日は加藤哲夫氏を偲ぶ会が17:00からあります。 思いつきで何故か久しぶりにある友人に会いたくなりました。彼を誘いそばを食べながら近況報告、その後、泉ヶ岳に誘いました。何故か気が休まります。 泉ヶ岳スキー場ロッジ付近で野外炊飯で楽しんでいるグループを見かけました。いい光景です。 ![]() リフトで上がりました。横ではスノーボートやモーグルのジャンプの練習をしていました。 ![]() リフトから見る景色もいいです。 リフトをおりパラグライダーで楽しんでいる様子を見学しました。 ![]() ![]() 草花も楽しませてくれました。 キンミズヒキ ![]() ウツボグサ ![]() クルマバナ ![]() ゲンノショウコ ![]() コバギボウシ ![]() ツリガネニンジン ![]() ハギ ![]() 山の上で一時を過ごし、友人と一緒にリフトで降りてきました。降りてくる途中ふと見上げると二人乗りのパラグライダー。前には女性、後ろには男性・・・。 へーッ、二人乗りもOKなんだー。 これならやってみたいなー・・。「自分が前で、健康そうな若い子が後ろで指導・・・」 考えただけでも若返っちゃうね。 ![]() リフトからおりたら、「パラグライダー体験会」のノボリ。 ノボリのあたりを見回し、若い健康的なインストラクターを捜しましたが・・。 それらしいインストラクターが見当たらなかったのでそのまま帰りました。 家に帰り「偲ぶ会」に出るため準備をしました。また気が重くなってきました。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-29 20:37
| 2011.08
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2011年 08月 29日
ブログでこれなんでしょうか?との問いかけをしていました。
2件について答えがありました。 先ずこの写真です。 ![]() アオダモです。「そりゃーアオダモだよ」と思われてた方も多かったと思います。しかし、私が今まで見ていたアオダモと若干違っていましたので確認しました。 (言い訳)アオダモのような気もしていましたが・・。今まで私が見ていたより鋸歯がはっきりしていましたのでネットで調べました。しかし、そのネットで調べた葉っぱとは若干違っていました。沢山持っている木の図鑑は4月始めに引っ越してきた荷物の中にあって、未だに大半は紐で結んだままで調べられなかったし・・。 私が先生としている長谷川さんや工藤さんにお聞きした方が簡単!そう考えました。お二人からの答えがアオダモとありました。 ちなみに、この木は、カブトムシが大好きな木です。横田さんがカブトムシトラップをあちこちの木にかけましたが、この木にかけたトラップにしかかからなかったという木です。イベントのために捕ったカブトムシ80匹は1つのトラップでした。①独自の技術で開発した横田式トラップ(自然保護のため非公開)と②アオダモの木のコラボレーションだったんです。 そのアオダモにアブラゼミが止まっていました(8月24日撮影) ![]() ここで大発見です。 セミは、カブトムシと違って、木を選ばないんです。アオダモの他、近くにあった、ブナ、イタヤカエデ、ケヤキ等どこでセミがいました。カブトムシは毎年繁殖できますが、セミは数年に1回です。即ちセミにとっては「短い夏」なんです。場所なんか選んでいられない・・その気持ちわかるような気がします。 いずれも8月24日撮影です。(ちなみにこのアブラゼミ網地島にはいないんです・・) ![]() ![]() もう一つ猿が食べ残したかぼちゃを食べていた虫です。長谷川さんが答えてくれました。 ![]() マメハンミョウだそうです。 この虫が生活できる環境、それは、バッタがいるような自然が一杯のところのようです。猿がいたりマメハンミョウがいたり自然が残ったところで私は野菜を作らせていただいているんです。 放射能がよけいです。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-29 11:44
| 2011.08
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2011年 08月 28日
今年は広島や長崎の原爆の日を特別な思いで迎えていました。
そして、アオギリが特別な木になりました。 (種の形が不思議でした) 最初アオギリは、木の名前を聞かれたら答えられる程度の存在でした。どちらかというとあまり興味のない木でした。 しかし、種をみてびっくりしました。珍しい形、不思議な形をしていたからです。持ち帰り、部屋に飾り、家族や来た人に「不思議な形でしょう」と得意げに話をしたもんです。もっとも大抵の人はそんなことどうでもいいんです。最近は「アーまた始まった」こう思われそうで止めています。 7月22日の様子です。花です。 ![]() 一月後8月23日の様子です。種が鞘の中に入った状態です。 ![]() 早いところでは、鞘が開いてグリーンピースのような青い種が見えます。 このグリーンピースがやがて鞘と一緒に茶色になっていきます。それでもなかなか離れません・・。 ![]() きょう、8月28日の様子です。全部の鞘が開いて種が見えています。 ![]() この後は、しばらくこのままです。時には春先にもこの状態でみられます。よほど強い風が吹かないと飛びません。 本当に不思議な形です。 (原爆の日で新しい知識) 広島の平和記念公園にアオギリがあるらしいです。恐らく行ったときに私も見ているはずですが・・。 このアオギリは、中国郵政局に植えられていたときに被ばく、その被ばくに耐え生き延びた木だそうです。 HPを抜粋すれば、次のようになります。 1973年(昭和48年)5月、中国郵政局の建て替えに伴って、平和記念公園内に移植されたそうです。 そして、特別な思いを持っている方がいました。中国郵政局に勤務中に被爆して、左足を失った沼田鈴子さんです。このアオギリは生きる心の支えだったそうです。 弱った体でその後も生き発売け、毎年、種子をつけています。これらの種子は、沼田さんや「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」の江口保さんらによって、国内外の人たちに贈られ、いま2世が国内や海外で元気に育っているそうです。 ・・・。 この話を原爆の日にちなんでTVで取り上げていました。 それ以来、更にこのアオギリに興味をもった次第です。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-28 11:00
| 2011.08
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2011年 08月 27日
石巻の友人が、網地島はいいところです。自分も住んでみたい島です・・。と言っていた島。
又、TV等でも時々紹介される島です。いつか行ってみたいと思っていました。 その網地島に26日、27日と行く機会がありました。 これは網地島からの帰りの一コマです。荷物は刈り払い機。 ![]() 3・11の大震災のとき、地震の後、津波を予想し沖合に船を出した船長。当時の様子を話してくれました。 ![]() 網地島での活動は、私が今年新加入した団体「森のなかま」の定番活動の一つのようです。ここ数年、年に2回位活動しているようです。「緑の募金」から支援を受けています。網地島の森林整備、植林した場所の育樹作業です。もちろん私は初参加。以前植樹した場所、そのほかの場所の刈り払いをしてきました。 大和町から便乗し鮎川に向かいます。途中車窓から見える小さな漁港がいくつも見えます。そのすべてが津波の被害にあって酷い状態です。 加藤哲夫さんが未明に亡くなったとの話もあり、楽しみにしていた網地島への道のりも大変気が重くなっていました。 会長が連絡をとった、おなじみの船らしい船が、鮎川で待っていてくれます。未だ定期船は動いていないようです。桟橋までがれきを超えて荷物を運びます。地盤沈下した桟橋は満潮の時海水につかるため海藻がついてしまっていて滑ります。 網地島では区長さん他お出迎え。車で一旦宿泊場所の市民センターへ。島の森林の植物がまるで違います。タブの木等照葉樹林。蝉の鳴き声がうるさいくらい。「今鳴いている蝉は何ですか」・・と質問しました。 ミンミンゼミ、〇〇ゼミ・・・。「アブラゼミは?」と聞きましたら「島にアブラゼミはいない」との答え。 何故かアブラゼミがいないことを知って嬉しくなりました。 しかも、ここで大発見です。大量のミンミンゼミが一斉に鳴いていると「ミーミーン・・・・」とは聞こえません。アブラゼミのように単調な声が聞こえるだけなんです。これには驚きました。耳鳴りよりも数段大きく連続して蝉の声が聞こえるだけです。 (森林整備活動のことは割愛します) ー食事編ー 自炊です。 島の船は、津波で大半が流されたそうです。幸い人的被害はなかったそうです。 区長さん他島の方が、船が流され漁ができないので何もないよ・・。と言いながら大量のウニ、そして、ヒラメやカンパチ?の刺身、昆布の漬物他をいただきました。 例えば、ウニです。森のなかまの太田さんたちが殻から出してくれました。 酒のおつまみ用です。これで一人前。味も量も最高です。 ![]() 夕食だけでは食べきれず朝食はウニどんぶりです。 ![]() 一方、魚の刺身です。 ヒラメをいただきました。いただいたヒラメを森のなかまの斎藤さんたちがおろして刺身にしてくれました。 太田さんがあら汁料理。 ![]() こちらは区長さんたちが作ってきた刺身です。 ![]() 色々なサラダや海藻の漬物も次から次と出てきました。 何もないです・・。と言いながら。 更に、森のなかまの皆さんも枝豆やナスの漬物、米、肉等持ってきてくれましたのでそれと合わせて、本当に贅沢をさせていただきました。 また、朝方、その日とれたばかりのヒラメの差し入れがありました。島で唯一動いている仲間の船が漁をしてそこから頂いたものだそうです。どこまで人がいいのでしょうか。申し訳ないです。 斎藤さんがさばいてお土産に作ってくれました。 森のなかまの特技が分かってきました。どうも、魚をさばくのは斎藤さん・・・、この会はそうなっているようです。 ![]() それにしても、地元の皆さんは船を流され、漁に出れないのに・・・・。 被災した皆さんからこんなことしていただいて本当に申し訳ないです。 ー網地島を離れるー 27日13:00チャーター船が迎えに来てくださる時間が来ました。区長さんはじめ港まで送ってくれました。 中央が区長さんです。後ろは森のなかまの皆さんです。 ![]() 地元の漁師さんです。船を流されてしまいました。本当にお世話になりました。 ![]() 桟橋は地盤沈下、1m以上かさ上げしていました。写真向かって右側が元の桟橋の高さです。既に冠水しています。 ![]() 網地島がどんどん離れます ![]() 鮎川港です。津波の被害は一見わかりません。 ![]() しかし、近づけばこんな状態です。 ![]() 鮎川と網地島をつないでくださった船と船長さんです。津波を予想し沖合に出て難を逃れたようです。 網地島で残った数少ない船です。 海の男はかっこいいです ![]() 島の人と森のなかまとの信頼関係、また、島の皆さんの人柄に触れた一泊二日でした。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-27 22:58
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2011年 08月 27日
8月26日便乗して網地島に向かう途中に電話。Y氏から市民活動家、加藤哲夫さんが亡くなったという知らせ。
4~5年前に受講したセミナーの先生。以来この方を自分の生き方の師と仰いできました。 最近では、4月25日にメールをいただいていました。この時期は、大震災前に認定を受けていた企画を大震災によって一旦実施を凍結し、方向性を見失っていた時期です。そして、福島第一原発の事故から色々と悩んでいた時期です。 彼が南相馬や飯館の支援プロジェクトを作ろうと構想を練っており、「一緒にやれることがあればよろしくお願いします」と声をかけていただきました。 彼のブログを毎日開いていました。あくまで明るく投稿していましたが、体調は日に日に悪くなるのがよくわかりました。しかし、連日、中身の濃い生き方をされていました。 7月11日ブログ 仙台文庫2冊同時刊行しました! 「市民のネットワーキング-市民の仕事術1」 「市民のマネジメント-市民の仕事術2」 7月29日ブログ 松岡正剛さん、上田紀行さん、上野千鶴子さんたちとの対談をして、単行本にします。 脱原発の本も書きます。 新カタツムリ社を設立し、上記本から出版します。 加藤哲夫記念人権基金(愛称紫陽花基金)を設立します。 告別式の企画も立てています。 8月13日 松岡正剛さん、上田紀行さんとのホスピス対談、無事終了しました。 8月21日ブログ 「癒しのピアノソロで知られるウォンウィンツァンさんに、ホスピスコンサートを開いていただきました」 ・・・・この投稿が彼のブログの最後でした。 2冊の本が私の手元にあります。 「市民のネットワーキング-市民の仕事術1」 「市民のマネジメント-市民の仕事術2」 加藤先生。南相馬や飯館の支援組織どうなりましたか? ▲
by komorebinomori
| 2011-08-27 20:34
| 2011.08
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2011年 08月 23日
22日、久しぶりに犬の散歩。弱い雨、薄暗くなっていました。蝉の鳴き声がしないです。虫の声は聞こえます。
耳鳴りが虫の声を邪魔します。 大発見です。耳鳴りは、蝉がいっぱい鳴いていたときは、遠くの森で蝉が一斉に鳴いているように、そして、秋の虫が鳴いているときには秋の虫の鳴き声に聞こえます。 見たことが無い犬がきます。かわいらしい犬です。 ![]() 近所の顔見知りのおばさんが連れていましたので声をかけました。 避難区域の南相馬で発見された犬だそうです。飼い主が分からず、ボランテイア団体が保護、その犬をこの方が一時的に預かっているとのことです。 しかし、今日22日、飼い主が見つかったようです。しかし、いつ引き取れるかわからないとのことです。 物語があります。この犬は、顔や耳に大けがをしてたようです。預かって間もなく4匹の子を産んだそうです。知人に声をかけ全部里親が見つかったそうです。 飼い主によれば、避難指示が出たので犬に餌を与えて避難していたらしいです。その後何度か餌やりに戻ったようです。最後に会ったときこの犬は大けがをしていたようです。次に餌やりに行ったときに姿が見えなかったので死んでしまったと思っていたようです。 しかし、この犬のお相手の犬もボランテイアさんに保護されていたそうです。お相手の犬の写真を避難所で見た飼い主が、ボランテイアさんと連絡をとり、自分の犬と再会、そして、その方の連絡で写真の犬の飼い主が分かったようです。 写真の犬ともう一匹の犬は近所で、過去にも、きれいな表現ができませんが、分かりやすく言えば、できていたのです。 厳しい現実があります。2匹とも飼い主と再会を果たしましたが・・。 写真の犬の飼い主は生活が安定するまで引き取るのを待ってほしいということらしいです。この犬も飼い主を教えてくれた、もう一方の犬の飼い主は、もっと厳しいらしいです。引き取ることはできないらしいです。 福島第一原発から逃れて、離れてしまった愛犬と再会してもすぐには暮せない現実、そしてまた、一方は永遠に暮らせなくなってしまった現実・・。誰が、これらの飼い主に、これらの犬に辛い辛い「ごめん」の挨拶をさせてしまったのでしょうか? 代表選びで数合わせやっている政権与党の議員さんよ・・。この「ごめん」は、飼い主でなく、皆さんが言わなければならないのではないですか? ▲
by komorebinomori
| 2011-08-23 11:21
| 2011.08
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2011年 08月 22日
ブログ依存症。しかし、ここ数日ブログに投稿できない日が続きました。
ようやく、この作業ができます。 19、20日 震災・復興「頑張ろう 山と海との交流会」の第一回目が実施されました。 宮城県観光連盟が主催し、アサヒビール(株)が費用支援をして、急遽仲間に入れていただいた「森のなかま」が実施団体となり進めてきたものです。 当初は、3年前の岩手・宮城内陸地震で崩落した山林に都会の小中高校生又はその親子に木を植えていただこうと考えたこの企画・・。 しかし、3・11の大震災でこの企画の凍結。 そして、出した結論が、津波で被災した地域の人と3年前に被災した栗原市の人とを交流していただく企画。 スケジュール的にはすべて綱渡りでした。 最後の追い込みもぎりぎり。前日の18日に森のなかまと大雨警報が発令されている植樹現場での準備作業、濡れた洋服で宿泊先の国立花山青少年の家での打ち合わせ、夕方仙台の家に戻り、資料作り・・。 連日、女房に手伝ってもらっていたが、この日も手伝ってもらいました。スケジュール表や式次第等、一切の資料ができたのが、当日の朝5:30。1時間弱仮眠。 7時30分、大和町の森のなかまの山小屋で今日の段取りの骨子を説明・・。9:30花山道の駅着・・ 南三陸町と花山の皆さんを道の駅で10:00合流、植樹場所へ・・。10:30セレモニー開始。 直接現地に行った森のなかまの皆さんが段取りをすべて整えて待っていてくれました。 想像力を働かせ、その場その場で一人一人が的確に動いてくれていました。 そして、セレモニー、記念撮影。 ![]() 来賓も一緒になって60人にて11種の広葉樹300本の復興祈願植樹開始。 ![]() 南三陸と花山の子が協力して植樹・・。 ![]() 来賓の栗原市長佐藤勇氏は南三陸町長に働きかけていただいた恩人。 ![]() そして、一切の費用の支援をいただいたアサヒビール株式会社。きょう大西部長ご出席。 この日は企画費用とは別に特別にお茶240本を無償提供頂くことができました。本当にありがとうございます。 ![]() 復興祈願植樹会場にはオトコエシの花が。 ![]() 植樹の後、後片付けはすべて森のなかまの皆さん。すみません。そして南三陸町と花山の皆さんと花山青少年自然の家へ・・昼食。 交流会、そして、沢遊び・・・。沢遊び直前、ここでハプニング。大きな地震です。震度5弱らしい。沢登のインストラクターとして協力しようとしてくださった花山小の宮澤先生と狩野さんが学校へ戻らなくては行けなくなり花山の親子と急遽お帰りに・・。 大雨、そして、直前の地震で心配された沢遊びも実現・・。 ![]() ![]() 沢にはクマシデが ![]() そしてトウバナが ![]() キャンプファイア、花火・・。 翌20日のピザや焼きそばつくり。 途中、栗原市立花山小学校の皆さんで育てたカブトムシを南三陸町の子供達へ・・と井上校長先生が持参してくださいました。ピザや焼きそば作り開始・・かまどでピザ作り?校長先生が隅にあったドラム缶のピザ釜を指さしこれがピザ釜ですよ・・。危ない危ない・・。何から何まで・・。 昼すぎ、お別れの挨拶、バスの前で記念撮影、そしてお見送り・・。ロータリー近くのガマズミの実が 色づいています ![]() 思えば、急な口頭での企画変更に正式書類なしでGOサインを出してくださったアサヒビール株式会社や宮城県観光連盟、そして、植樹指導を約束して下さった、県北部地方振興事務所、南三陸町へ呼びかけていただいた栗原市長・・。又、私の企画に危うさを感じ、ポスター作りやチラシ作り、そして、国立花山青少年の家への協力要請に一緒に行っていただいたり集客に尽力してくださった花山小学校長・・。山を提供してくださった栗原市議会議長・・・。 そして何よりも、押しかけ会員となったため何かの協力要請ができないでいる私の姿を心配し、想像力を働かし、あれはどうなった?これはどうなった?とアドバイスをくださり、自主的に企画実行してくださった森のなかま横田清二会長他会員の皆さん・・。ありがとうございます。 花山小学校の校長先生がおっしゃっていました。「子供の喜ぶ姿、元気な姿を見て親は元気になるもんです」 今その言葉が少しわかったような気がします。 本当に多くの方の協力があったことを今改めて感じています。 NHKーTVの朝6:50過ぎに放映されたことを花山小の校長先生から電話が入りました。河北新報にも掲載されたようです。 今振り返ってみています。何とか切り抜けられた危うい場面・・。1日たっぷり寝て頭の霧がようやく晴れました。大きなミスもしていました。赤面の至りとはこのことです。準備で精力を使い果たし、当日頭がボーッとしてしまう悪いパターン。 今回来てくれた南三陸町の皆さんと、参加してくれた花山の皆さんと今後どうやって交流を続けていけるか考えます。 先般、南三陸町ある小学校の教頭先生からある参加者家族の被災状況を聞いてしまいました。今考えても涙が出ます。あまりにもこのテーマは重いです。 このシリーズあと数回予定されています。しかし、自主企画はこれだけです。今後は協力と言う形で復興祈願植樹をします。もう少し冷静に行動できると思います。 ▲
by komorebinomori
| 2011-08-22 00:21
| 2011.08
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